燃料投下を続けるJ.K.ローリング 炎上劇場の第二幕


  J・K・ローリングの炎上がまだまだ絶好調です。世界で最も有名な作家の一人、J・K・ローリングが炎上している経緯は、以下の記事にまとめました。

もうすっかり「差別者」のレッテルを貼られ、叩かれまくっています。すごい嫌われようです。「これはあんまりなのでは」と、著名な文化人たちが自由な議論を呼びかける公開状を発表したりもしました。

 ちなみにこの公開状は、J・K・ローリングも署名者に入っているという理由で少なくとも二人が署名後に名前を削除したそうです。

 しかし、当のJ・K・ローリングは逆風にひるむ気配も無く、その後もTwitterで持論を展開。あれほど私が「Twitterでの議論はお控えなさい」とブログに書いたのに。どうして読んでくれないの?JKR。私がハリー・ポッターシリーズを一巻で読むのやめたのを怒っているのね?

 そして、今週に入って、JKR叩きは新たな盛り上がりを見せています。

再び盛り上がっているJKローリング叩き

 今週(2020年9月第三週)には米国のTwitterでは、「♯ripjkrowling」がトレンディングに。ついに死んだことにされました。この「RIP(安らかに眠れ)___」は、差別発言した人の吊し上げにTwitterでよく使われますね。「コイツ完全に終わったね、ご冥福をお祈りしまーす」みたいな侮辱的なタグです。

TwitterのUS Trending欄より。Twitter社が慌てて「死んでいません」と付け加えた様子

 Tiktokでは、JKR叩きの一環でハリー・ポッターの焚書キャンペーン動画があっという間に広まり・・・

 2021年発売予定のゲーム「ホグワーツ・レガシー」の製作元であるワーナー・ブラザーズはわざわざ「原作者のJKローリングは製作に関わっていません」と発表。キャンセル・カルチャーの餌食になりたくない、つまり、「ワーナー・ブラザーズはJKローリングのお仲間だから、ワーナー・ブラザーズ関連のものは一切ボイコットしようぜ」と不買運動を起こされるのが怖くて先手打ってるんでしょうね。お仲間認定されたらブランドイメージに関わるわけですから必死です。

 上記記事の見出しに、問答無用で「transphobic(性転換嫌悪者)」と書かれているのが悲しい。

 Twitterでやらかしてしまって盛大に炎上し、そろそろ鎮火してもよさそうなのに、なぜまたこのタイミングで炎上の炎が再燃しているのか? それは、J・K・ローリングが新しい小説を発表したからです。

新作『Troubled Blood』でまた燃料投下!

 今週(2020年9月15日)、ロバート・ガルブレイス(J・K・ローリングが大人向け小説を書く時のペンネーム)の新作『Troubled Blood』が発売開始になりました。

 「Twitterで遊んでないで本を書いてくれ」、私は確かにそう過去記事に書いた・・・JKRもやっと私の文章を読んでくれたんでしょうね(チガウ)、私の願いが聞き入れられたのはよかったのですが、900ページ越えの大作!! ネイティブの平均読了時間は17時間40分、オーディオブックの長さは約32時間!! 凶器になる厚さ!! ここまでお願いしてないよう、JKR。こんなに長くちゃ読めなくて意味無いじゃないか。アンチからは「すごい量のトイレットペーパー」と揶揄されています。

 「読まなくちゃ文句も言えないし」と思って買って読んでいるけど、読んでも読んでも終わりません。ロバート・ガルブレイスa.k.a.J・K・ローリング、今日からあんたを「英国の京極夏彦」と呼ぶ。長いんだよ!

 そして内容のどこが問題かと言うと、小説に登場する凶悪連続殺人犯が「女装をする男性で、女と見せかけてターゲット女性を油断させ、誘拐する」という人物像にされていることです。「犯人は性転換した元男性のトランスジェンダー女性」という設定じゃないんだからいいんじゃないの、とも思いますが、意地悪なメディアが発売前に「JKRは、女の恰好をした男(つまり女性に性転換した人も含む)を信用するなというメッセージを送っている」と書き立ててしまったわけです。

 トランスジェンダー問題でもめまくっているところに、こんな内容の小説を投下するJ・K・ローリング。唖然としてしまいました。当然、世間からはバッシングの嵐です。

 もしかして、J・K・ローリングは、ハリポタの人気には遠く及ばないロバート・ガルブレイス名義の一連の作品を売りたくて炎上商法をやっているのか? もうこれでシリーズ5作目なのに、日本では二作目までしか翻訳本出ていないし。そう思ってしまうくらい、この流れの中でアグレッシブな人物設定を小説内でやっています。 これはもう喧嘩を売っているとしか。どんなに叩かれようとも嫌われようとも私は絶対に負けない、というJ・K・ローリングの強い強い意思が感じられます。

ヘイトではないと思いたいけれど

 私はどちらかと言うと、J・K・ローリング叩きを気の毒に思って擁護する側でした。そう書くと「あんたはトランス・コミュニティを差別するのか!」「トランス女性は女性じゃないと言うのか!」と私も非難されるんでしょうけど。

 もし、J・K・ローリングが「トランスジェンダーはきもい、滅びろ、〇ね」という趣旨の発言をしたのなら、私も叩く側に回ります。世間からキャンセルされるのも当然。でも、少し違うんですよね。J・K・ローリングも「トランスジェンダーの人たちがトランスジェンダーだという理由だけで差別されるなら抗議する」と明言しているし、彼女の「トランスの人たちを愛している」という言葉は真摯なものに感じます。

 しかし、トランスジェンダー関連でJ・K・ローリングのやることなすことほぼすべてがトランスジェンダーの人たちに不利益になることばかりなんですよね。たとえそれが差別から来るものではないとしても、そこが批判されるゆえんかと。

 例えば、今回の小説の連続殺人犯の人物設定にしても、「犯人はトランス女性」だとしたら大問題ですが、そうではない。あくまで「トランス女性でもないのに女装している男性」なのです。でも、外から見たら「手術やホルモン治療を受けていないトランス女性」あるいは「ホルモン治療などで女性への移行期にあるトランスの人」は、「女装しているだけの男性」と見かけは同じようなものでしょう。

 つまり、小説内で「女装している男性」の危険性を強調することは、同じような外見のトランスジェンダー女性の肩身を思いっきり狭くしているわけです。J・K・ローリングにそのような意図は無いと信じたいのですが、結果的にトランスジェンダーの人たちの足をひっぱっています。

J・K・ローリングが本当に恐れているもの

 J・K・ローリングのトランス関連の一連の言動の根底にあるのは、トランス嫌悪ではなく以下の三つだと思います。

1)男性の暴力に対する憎悪と恐怖

 これは、自身のウェブサイトで発表した釈明エッセイでも強調しています。J・K・ローリングは、男が怖いのです。「子供向けの本の著者だから言わずにいたが、20代にSexual Assaultを受けた経験がある、それを忘れることはできない」と書いておられます。Sexual Assault・・・つまりレ〇プです・・・。あとはドメスティック・バイオレンスのサバイバーでもあるとしています。とにかく、一部の男性はそういうことをするものだ、(トランス女性を含む)女性や子供がいつもその犠牲になるんだ、そいつらに絶対そのチャンスを与えてはならない、という男性への強い不信が文章から感じられます。女性と自認する人すべてに簡単に女性専用スペースを解放するということは、己の欲望を満たすためにその制度を悪用する男性が必ず出てくる、と主張していらっしゃいます。

2)性別とジェンダーを分けて考えるべきという信念

 ここが議論を呼ぶ部分ですね。この問題に関連して、よく「トランスジェンダーの女性(生まれた時の性別は男性で女性に性転換した人)は、女性か?」という踏み絵のような質問が使われていて、ハリポタのキャストはじめスティーブン・キングまでも「イエス、トランスウーマンはウーマンです」と安全に答えているのですが、私にはこの質問も答えも、どうもSexとGenderを混同した感じでよくわからんのです。J・K・ローリングは、ここをはっきりと「ジェンダーは女性だけど、性別は男でしょ」と言ってしまっている。そもそもそう発言して会社をクビになった女性をかばうツイートをしたのがことの発端ですから。

 例のご自身のウェブサイトに掲載した長文エッセイでも、トランス女性の友人のことを「元ゲイ男性ということを公言しているけれど、女性としか思えないし女性と思って接している」と書いていらっしゃいます。言葉を変えると、「女性としか思えない・・・本当は女性じゃないけど」とも取れます。つまり、「ジェンダーは女性だということは受け入れられるけど、性別は男性、トランス女性はトランス女性」という考えなのだと思います。

 どっちでもいいじゃない、と言いたくなりますが、どうもスコットランドで今年、出生証明書に記載された性別を手術やホルモン治療無しで自認する性別に変更できるようにするという法律改正が検討されているのが、「性別がジェンダーに置き換わってはいけない」というJ・K・ローリングの信念を奮い立たせた様子。

 生まれた時の「性別」を非常に重くとらえていて、長い熟考の上で変更すべきと考えているようです。あとは1)でも触れましたが、自認する性別に簡単に変更できたら悪用するヤツが出てくるに違いないと訴えています。

3)発言の自由が無くなる脅威

 2)のような発言をしたら速攻で干されるというのはいかがなものか、というJ・K・ローリングの現在の流れへの挑戦を一連の発言から感じます。差別ではない、きちんとした議論もできない風潮がおかしい、誰も言わないから私が言うんだ、という「発言の自由」への使命感にかられていらっしゃるようにお見受けします。

大人気ないJ・K・ローリング

 J・K・ローリングがこの問題でどうしても言いたいことを言いたい理由も、その主張の内容もよくわかります。きちんとした覚悟があるのもわかります。ただ、主張の場の選び方や言い方がちょっと残念・・・。あまりにも主張が強過ぎるというか、一方的過ぎるのです。言わなくてもいいことまで言っています。売られた喧嘩も買い過ぎです。ムキになっている感じすらします。そういうムードが「あいつ、トランスコミュニティになんか恨みでもあんの?トランスフォビアだな」と、もはや話も聞いてもらえなくなっている原因ではないかと・・・。

 例えば、以前の記事で触れたのスティーブン・キングとの絡みです。順を追うと以下のような感じなのですが・・・。

Twitterで誰かが「自分のドメスティックバイオレンスの経験をトランス差別に利用すんな」とJ・K・ローリングを批判

→ J・K・ローリング、批判に必死で反論ツイート 

→ それをキングがサポートの言葉とともにリツイート

→ J・K・ローリング歓喜!そんなキング先生に対して、「前からあなたを尊敬してたけど、私のあなたへの愛はアニー・ウィルクス*1のレベルになっちゃったわ!」とツイート

*1:キング先生の代表作の一つ『ミザリー』に登場する、作家に狂信的な愛を抱く怖いストーカーおばさん 

→ 第三者がキングに「JKRを擁護すんの?あんたもトランス女性は女性じゃないって言うのかよ!どっちなんだよ?」

→ キング「トランス女性は女性と考えている。でもヘイトも吊し上げもどっちもダメだよ。意見が違う人にも自分がされて嫌なあつかいはしちゃいけない」

→ J・K・ローリング、前述の「キング先生、大好きよ」ツイートを削除

・・・って、削除しちゃダメでしょー、J・K・ローリングさんよ!!! ちょっと落ち着いて。「トランス女性は女性」って明言したからって、キングへの愛を取り消しちゃうの? 自分と100%意見が同じ人じゃないとダメ? 自分を叩いている人と同じレベルに落ちていない?

奇跡の80歳マーガレット・アトウッドは

 J・K・ローリングがもめている真っただ中の7月に、先日もデイトン文学平和賞を受賞した元気いっぱいの魔女カナダの大御所作家マーガレット・アトウッドさんは、このようにツイートしておられます。

「生物学的な性別(Sex)も男か女かそのどちらかしかないというわけではない、私たちは皆、ベル曲線のどこかにいるだけ。自然の持つ無限の多様性を享受しましょう」

「ジェンダーと生物学的な性別が一致しないことだって生物学的な現象」

 これは一応、性の多様性をアトウッドらしく賢明な表現でふんわりと認めている主張とれ、JKローリングと違ってトランスジェンダーコミュニティを支持していると思うのですが、これはこれですごい反論されています。

「あなたはフェミニスト作家じゃなかったの?」

「『侍女の物語』は何だったのよ? 女が女という性別に生まれたというだけで虐げられている苦しみを描いたんじゃなかったの?」

 そして、アトウッドさんも一生懸命「男と女が同じと言っているわけではありませんよ」と説明。「こんなことであなたが叩かれるなんて残念」という励ましメッセージにも「大丈夫よ!」と元気に答えていらっしゃいます。

 もう、トランスジェンダー関連のことでは何を言っても叩かれるという・・・。この話題に関しては、本当に「かかわったら終わり」なんですよね。よほど注意深く発信しないと、無傷ですむ人は少ないと思います。本当にみんななんでこんなに攻撃的なんでしょうか。

結論

 みんなパンデミックとか社会不安とかでストレスが溜まっている。

 正義を果たした気分を味わってすっきりしたい。

 ・・・こんなところじゃないでしょうか。

 トランス女性たちのトイレ・更衣室問題とか、スポーツ参加問題とか、現実に彼らが生きやすくするためにどうしたらいいのかという建設的な話し合いはあんまりなされているようには見えません。トランスジェンダーをサポートするするって言ってる人も、「じゃあトイレの男女の区別を無くす」とか「すべての小学校に男女共用トイレを作ろう」とかなったら「それはちょっと・・・」とか「少数の人のためにそんなことしなくちゃいけないの」とか言ったりするもんです。

 皆さんこれ↓が本音です。

「少数派の権利をサポートします!でも彼らのために自分の生活が不便になったり安全が脅かされるのは、ちょっとね・・・」

「関係ないところで生きててくれるなら応援するよ!」

 本音は、そんなところでしょう。少数派と多数派が共存していくには乗り越えなくてはならないことがたくさんあるのが現実です。喧嘩してる場合じゃない。

 というか、もしかして当人たちを差し置いて、あんまり関係無い第三者たちがガヤガヤやっていやしませんか。「多様性多様性って言われる前のほうが生きやすかったな」とひっそりしょんぼりしている性的少数者の方もいる気がします。こんな腫れ物に触るような扱いを求めているわけじゃあないでしょう、彼らも。

 トランスジェンダーの方々は「聡明で繊細な人が多い」、これはJ・K・ローリング本人がエッセイで書いていたことです。中島らも先生や北方謙三先生も、性的少数者の方のことをそうおっしゃっていたな。J・K・ローリングには脅迫やら殺害予告やらがすごいそうですが、私はどうも当事者じゃない人たちが勝手に怒ってそういうことをしているだけに思えます。やめましょう。その怒りは誰のためになっている? 

 冷静になって、双方で相手を思いやりながらの議論が続くことを願っています。

 さて・・・『Troubled Blood』読むか・・・。今やっと半分。来年までかかりそうな気がする・・・。

(追記)例のJKローリングの問題の小説『Troubled Blood』読み終わりました。二度とこんな長いの読むか!という気持ちともっと読みたいという気持ちの両方が味わえる不思議な小説でした。こんだけ世間ともめても、あの分量を書けるJKR。悔しいけどすごい。

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